炭酸水か普通の水かどちらにします。
Would you like some water?で質問してさらに
Sparkling or still?
sparklingはわかりますがstillが正直、わかりませんでした。想像はできましたが
2024年6月18日11:48 AM |カテゴリー:知って得する情報,英語
アメリカ人の名前でトーマスがトムになったりすることはありますか。
Thomas → Tom
トーマスがトムになる。
Tommy というさらに親しみやすい形もあります。
William → Bill/Billy
ウィリアムがビルまたはビリーになる。
Robert → Bob/Bobby
ロバートがボブまたはボビーになる。
James → Jim/Jimmy
ジェームズがジムまたはジミーになる。
Richard → Rick/Ricky/Dick
リチャードがリックまたはリッキー、ディックになる。
John → Jack
ジョンがジャックになる。
文化的背景
ニックネームは、家族や友人同士の親しみやすさを表すために使われます。正式な場面では正式な名前を使いますが、カジュアルな場面や親しい関係ではニックネームが多用されます。
このように、トーマスがトムと呼ばれるのは非常に一般的で、文化的にも受け入れられている習慣です。
女子の名前でも、正式な名前から短縮形や愛称(ニックネーム)が使われることはよくあります。いくつかの例を挙げてみます。
例
Elizabeth → Liz, Lizzy, Beth, Betty, Ellie
エリザベスがリズ、リジー、ベス、ベティ、エリーになる。
Katherine → Kate, Katie, Kathy, Kat
キャサリンがケイト、ケイティ、キャシー、キャットになる。
Margaret → Maggie, Meg, Peggy
マーガレットがマギー、メグ、ペギーになる。
Jennifer → Jen, Jenny
ジェニファーがジェン、ジェニーになる。
Rebecca → Becca, Becky
レベッカがベッカ、ベッキーになる。
Patricia → Pat, Patty, Trish, Trisha
パトリシアがパット、パティ、トリッシュ、トリシャになる。
Victoria → Vicky, Tori
ヴィクトリアがヴィッキー、トリになる。
Alexandra → Alex, Alexa, Sandra
アレクサンドラがアレックス、アレクサ、サンドラになる。
Charlotte → Charlie, Lottie
シャーロットがチャーリー、ロッティになる。
Samantha → Sam, Sammy
サマンサがサム、サミーになる。
文化的背景
男子と同様、女子の名前でもニックネームを使うことは親しみやすさを示します。正式な名前を短縮して呼ぶことで、よりカジュアルで親しい関係を築くことができます。正式な場面ではフルネームを使い、友人や家族との会話ではニックネームが使われることが多いです。
これらのニックネームは、個々の名前に対する伝統的な短縮形や愛称であり、英語圏で広く受け入れられています。
2024年6月11日8:53 AM |カテゴリー:知って得する情報,英語
「go」を使った簡単なフレーズはいくつかあります。以下にいくつかの例を挙げます。
どうぞ進んでください。/ どうぞお先に。
Go away.
あっちに行って。/ どこかへ行って。
Go back.
戻って。/ 帰って。
Go on.
続けて。/ どうぞ話してください。
Go out.
外出する。/ デートする。
Go up.
上がる。/ 上昇する。
Go down.
下がる。/ 降りる。
Go in.
入る。
Go for it.
頑張れ!/ 挑戦してみて!
Go over.
調べる。/ 見直す。
Go through.
経験する。/ 通過する。
Go with.
?に合う。/ 一緒に行く。
Go off.
爆発する。/ アラームが鳴る。/ 立ち去る。
Go down with.
病気になる。
Go by.
通り過ぎる。/ 時間が過ぎる。
2024年6月7日10:15 AM |カテゴリー:英語
I am happy, aren’t I?はam’t I にならないのですか。
You are happy, aren’t you?(あなたは幸せですよね?)
He is tall, isn’t he?(彼は背が高いですよね?)
I am happy, aren’t I?(私は幸せですよね?)
「amn’t I」は文法的に正しくないため、使用されません。
2024年6月4日9:42 AM |カテゴリー:英語
ディズニーランドでの体験発表
Good morning, everyone. Today, I would like to talk about my trip to Disneyland. It was a wonderful experience, and I had a lot of fun.
Body
1. Getting There
Last Saturday, I went to Disneyland with my family. We took the train from our house and arrived at Disneyland around 10 AM. I was so excited!
2. The Rides
The first ride we went on was Space Mountain. It was a thrilling roller coaster, and I screamed a lot! Then, we went on Pirates of the Caribbean. It was very cool and a little scary. My favorite ride was It’s a Small World because the music and the dolls were so cute.
3. The Shows
We also watched a parade called “Dreaming Up!” It was amazing to see all the Disney characters dancing and singing. My favorite part was when Mickey Mouse and his friends waved at us.
4. Food and Souvenirs
For lunch, we had delicious hamburgers and fries. I also tried a Mickey-shaped ice cream. It was so yummy! Before we left, we bought some souvenirs. I got a Mickey Mouse keychain and a Donald Duck T-shirt.
Conclusion
In conclusion, my trip to Disneyland was unforgettable. I had so much fun with my family, and I hope to go there again soon. Thank you for listening!
2024年6月3日3:40 PM |カテゴリー:英語
how terrible!のようにhowを使って2単語のフレーズはほかにありますか。
例文
How wonderful! 素晴らしい!
How amazing! 驚くべき!
How beautiful! 美しい!
How awful! ひどい!
How strange! 奇妙だ!
How funny! 面白い!
How cute! 可愛い!
How lovely! 愛らしい!
How exciting! ワクワクする!
How disappointing! がっかりだ!
感嘆文: 「how」を使った感嘆文は、感情や評価を強く表現するために使われます。感嘆符(!)をつけることで、その感情をより強調できます。
構造: 基本的な構造は「How + 形容詞」です。この形でシンプルに感情や評価を表現します。
「How terrible!」のような「how」を使った2単語のフレーズは、感情や評価を強調するために非常に便利です。日常会話や書き言葉で使うことで、感情を豊かに表現することができます。
2024年5月30日11:02 AM |カテゴリー:英語
why don’t we go hiking next Saturday?をwhyを使わないで同じ意味なるように書き換えができますか
Let’s go hiking next Saturday.
「来週の土曜日にハイキングに行こう」という提案の形です。
How about going hiking next Saturday?
「来週の土曜日にハイキングに行くのはどう?」という提案の形です。
Shall we go hiking next Saturday?
「来週の土曜日にハイキングに行きましょうか?」という提案の形です。
提案を含む質問形に書き換える方法
What do you say we go hiking next Saturday?
「来週の土曜日にハイキングに行くのはどうですか?」という提案を含む質問形です。
「Why don’t we go hiking next Saturday?」を「why」を使わずに表現するには、提案の形をとる他のフレーズを使うことができます。上記の例は、いずれも同じ提案の意味を持ち、適切に使うことができます。
2024年5月29日1:49 PM |カテゴリー:英語
I think that everything is fineのthatの用法を教えてください。
従位接続詞としての “that”:
主節と従属節をつなぐ。
主節の動詞(この場合は “think”)の目的語としての従属節を導く。
文の構造分析
文を分解してみましょう:
主節: “I think”(私は思う)
動詞: “think”
主語: “I”
従属節: “that everything is fine”(すべてが順調であること)
“that” は従属節を導く接続詞。
従属節の内容: “everything is fine”
主語: “everything”
動詞: “is”
形容詞: “fine”
“that” の役割
明示的な接続:
“that” は文法的に主節と従属節を明確に結びつける役割を果たします。これにより、従属節が主節の動詞の目的語であることが明確になります。
省略可能性:
英語では、会話やカジュアルな文脈では “that” を省略することができます。
例: “I think everything is fine.”
省略しても意味は変わりませんが、文の構造が少し曖昧になる可能性があります。
例文
明示的に “that” を使う場合:
“She believes that he is honest.”(彼女は彼が正直だと信じている)
“We know that the meeting was canceled.”(私たちはその会議が中止されたことを知っている)
省略して “that” を使わない場合:
“She believes he is honest.”(彼女は彼が正直だと信じている)
“We know the meeting was canceled.”(私たちはその会議が中止されたことを知っている)
“I think that everything is fine” の “that” は従位接続詞として、主節と従属節を結びつけています。従属節が主節の動詞の目的語として機能することを示しています。カジュアルな文脈では “that” を省略することも可能ですが、明示的に使うことで文の構造がより明確になります。
2024年5月29日1:37 PM |カテゴリー:英語
have toとmustの違いは何ですか
強制力と形式性:
must: より強い強制力を持ち、形式的・公式的な文脈でよく使われます。話し手が自分の意見や判断を強く表明する場合に使用されることが多いです。
例: “You must wear a seatbelt.”(シートベルトを着用しなければならない)
have to: より一般的で、日常的な文脈で使われます。外部の要因や状況によって義務が発生する場合に使用されることが多いです。
例: “I have to go to work.”(仕事に行かなければならない)
話し手の意図:
must: 話し手の意志や規則・ルールを強調することが多いです。話し手が直接その義務を課す場合に使用されます。
例: “You must finish your homework before you can play.”(宿題を終わらせなければ遊べません)
have to: 話し手の意志よりも、状況や外部の要因による義務を表すことが多いです。
例: “I have to take my medicine every day.”(毎日薬を飲まなければならない)
否定形では意味が変わることに注意が必要です。
must not (mustn’t): 「?してはいけない」という禁止を表します。
例: “You must not smoke here.”(ここで喫煙してはいけません)
don’t have to: 「?する必要はない」という意味で、義務がないことを示します。
例: “You don’t have to come to the meeting if you’re busy.”(忙しいなら会議に来る必要はありません)
「must」には過去形がないため、過去の義務や必要性を表現する場合は「had to」を使います。
例: “I had to work late last night.”(昨晩は遅くまで働かなければならなかった)
現在の義務:
must: “You must call your mother.”(あなたはお母さんに電話しなければならない)
話し手が強い意志を持っていることを示します。
have to: “I have to call my mother.”(私はお母さんに電話しなければならない)
外部の状況(例えば、約束など)による義務を示します。
否定形:
must not: “You must not be late.”(遅刻してはいけない)
don’t have to: “You don’t have to be early.”(早く来る必要はない)
must:
強い義務や話し手の意志を強調。
形式的・公式的な文脈でよく使用。
否定形は「?してはいけない」。
過去形は存在しない。
have to:
一般的な義務や外部の状況による必要性を示す。
日常的な文脈で広く使用。
否定形は「?する必要はない」。
過去形は「had to」。
これらの違いを理解することで、適切な状況で正確な表現を選ぶことができます。
2024年5月29日11:38 AM |カテゴリー:英語
I have an umbrella.とI have an umbrella with me.の違いは何ですか。
意味: この文は「私は傘を持っている」ということを意味します。傘の所有を示していますが、その傘が現在どこにあるかについては特に言及していません。
使用例: 誰かが「傘を持っていますか?」と聞いたときに、自分が傘を所有していることを伝えるときに使います。
I have an umbrella with me.
意味: この文は「私は傘を持っている」というだけでなく、その傘が現在自分の手元にある、つまり一緒に持ち歩いていることを意味します。
使用例: 外出中に「傘を持っていますか?」と聞かれたときに、今自分の手元に傘があることを伝えるときに使います。
違いのまとめ
所有 vs 所持:
“I have an umbrella.” は単に傘を所有していることを意味します。例えば、傘が自宅にあってもこの文を使うことができます。
“I have an umbrella with me.” は傘を持っているだけでなく、現在その傘を持ち歩いていることを意味します。つまり、傘が今あなたの手元にある状態を示しています。
コンテキストの違い:
“I have an umbrella.” は一般的な所有を表す文で、傘がどこにあるかについては触れていません。
“I have an umbrella with me.” は具体的に現在の状況を説明しており、傘が自分と一緒にあることを強調しています。
使用例の違い
Scenario 1: 友達が「家に傘を持っている?」と聞いたとき
“I have an umbrella.” が適しています。
Scenario 2: 雨が降り始めたときに友達が「今傘を持ってる?」と聞いたとき
“I have an umbrella with me.” が適しています。
このように、文脈によって適切な表現を選ぶことが重要です。
2024年5月29日11:24 AM |カテゴリー:英語
pick it upはpick up itと言えますか
Pick it up(正しい)
Pick up it(誤り)
代名詞を用いる場合:
代名詞(it, him, her, themなど)は、句動詞の直後に配置されます。
例:
Correct: “Pick it up.”
Incorrect: “Pick up it.”
名詞を用いる場合:
例:
“Pick up the book.”
“Pick the book up.”
以下にいくつかの具体例を示します:
代名詞を用いた場合:
“Turn it on.” (正しい)
“Turn on it.” (誤り)
“Put it down.” (正しい)
“Put down it.” (誤り)
名詞を用いた場合:
“Turn on the light.” (正しい)
“Turn the light on.” (正しい)
“Put down the book.” (正しい)
“Put the book down.” (正しい)
このように、句動詞に代名詞を用いる場合は代名詞を句動詞の後に置くのが正しい形です。名詞を用いる場合には、どちらの位置も許容されます。
2024年5月27日5:06 PM |カテゴリー:英語
このサイトは英語のフレーズを動画サイトからピックアップしてくれる。
英語の勉強に役立つサイトなのでいかにサイトのアドレスを張っておきます。
PlayPhrase.me: Site for cinema archaeologists.
2024年1月28日9:33 PM |カテゴリー:知って得する情報,英語
このサイトは英語の勉強にとても役立ちます。
気になる英語のフレーズをいろいろな動画からそのフレーズを再生してくれます。以下はそのリンク先です。
2024年1月28日9:19 PM |カテゴリー:知って得する情報,英語
I hope you had a ball.の意味を教えてください。
フレーズ “I hope you had a ball.” は、直訳すると「楽しい時間を過ごしていたことを願っています」という意味です。ここでの “had a ball” は、非常に楽しい時間や経験を過ごしたことを指しています。このフレーズは、他の人が楽しい経験をしたことを願っている、または尋ねているときに使用されます。例えば、友人が休暇に行った後に言う場合、「I hope you had a ball」と言ってその友人が素晴らしい時間を過ごしたことを期待していることを表現しています。
2023年6月28日4:02 PM |カテゴリー:chatGPT,英語
I’m having a ball.の意味を教えてください。
フレーズ “I’m having a ball.” は、「私は楽しい時間を過ごしている」という意味です。ここでの “having a ball” は、とても楽しく充実した時間を過ごしていることを表現しています。このフレーズは、現在の状況や経験に関して、喜びや楽しみを表現するために使われます。例えば、友人に会ったりパーティーに参加したりして楽しんでいる場面で、「I’m having a ball.」と言えば、自分がとても楽しんでいることを伝えることができます。Regen
2023年6月28日4:00 PM |カテゴリー:chatGPT,英語
所属しているという意味の前置詞onがありますがinと用法の違いがわかりません
答えは
「on」は、チームや組織の一員であることを示すために使用されます。例えば、「He is on the tennis team.」では、「彼はテニスチームの一員です」という意味になります。ここでの「on」は、彼がテニスチームに所属していることを示しています。
一方、「in」は、特定のグループやクラスに所属していることを示すために使用されます。例えば、「She is in 1-A.」では、「彼女は1-Aのメンバーです」という意味になります。ここでの「in」は、彼女が1-Aというクラスやグループに所属していることを示しています。
簡単に言えば、「on」はチームや組織への所属を示す際に使われ、「in」は特定のグループやクラスへの所属を示す際に使われる傾向があります。ただし、具体的な文脈によって使い方が異なる場合もあるため、正確な違いを説明するのは難しいかもしれません。
2023年5月26日3:26 PM |カテゴリー:chatGPT,英語
OKもI seeも日本語で「わかりました」ですが使い方の違いはありますか
と質問してみたら。
次のような答えが返ってきました。
「OK」と「I see」は、日本語で「わかりました」と似た意味を持つ表現ですが、使い方に微妙な違いがあります。
「OK」は、了解や承諾を表す際に使われます。相手からの要求や提案に対して、自分が合意していることや問題ないことを伝えるために使用します。例えば、友人が映画に行くことを提案してきた場合、あなたが「OK」と返答するという意味です。
一方、「I see」は、理解や認識を示す際に使われます。相手の説明や情報を受けて、それを理解したことや認識したことを示すために使用します。相手の話を聞いて、納得したり理解したことを伝える場面でよく使われます。
簡単に言えば、「OK」は了解や合意を示す際に使用し、「I see」は理解や認識を示す際に使用することが一般的です。ただし、具体的な文脈や使われるシチュエーションによって微妙なニュアンスの違いがあるかもしれません。
2023年5月26日3:22 PM |カテゴリー:chatGPT,英語
1 人称代名詞とbe動詞
主語が
① Iのとき→am
② youのとき→are
③ ①②以外で単数のとき→is
④ ①②③以外なら→are
2 複数の書きかえ
this→ these
that→ those
pencil「鉛筆」、doll「人形」、
2021年8月19日2:31 PM |カテゴリー:英語
オバマ大統領は現職大統領として初めて広島を訪問した。
以下はそのときの演説文である。
Seventy-one years ago, on a bright, cloudless morning, death fell from the sky and the world was changed.
A flash of light and a wall of fire destroyed a city and demonstrated that mankind possessed the means to destroy itself.
Why do we come to this place, to Hiroshima?
We come to ponder a terrible force unleashed in the not-so-distant past. We come to mourn the dead, including over a hundred thousand Japanese men, women and children, thousands of Koreans, a dozen Americans held prisoner.
Their souls speak to us.
They ask us to look inward, to take stock of who we are and what we might become.
It is not the fact of war that sets Hiroshima apart.
Artifacts tell us that violent conflict appeared with the very first man.
Our early ancestors, having learned to make blades from flint and spears from wood, used these tools not just for hunting but against their own kind.
On every continent, the history of civilization is filled with war, whether driven by scarcity of grain, or hunger for gold, compelled by nationalist fervor or religious zeal.
Empires have risen and fallen, peoples have been subjugated and liberated, and at each juncture innocents have suffered a countless toll, their names forgotten by time.
The world war that reached its brutal end in Hiroshima and Nagasaki was fought among the wealthiest and most powerful of nations.
Their civilizations had given the world great cities and magnificent art.
Their thinkers had advanced ideas of justice, and harmony, and truth. And yet, the war grew out of the same base instinct for domination, or conquest, that had caused conflicts among the simplest tribes, an old pattern, amplified by new capabilities, and without new constraints.
In the span of a few years, some 60 million people would die. Men, women, children, no different than us, shot, beaten, marched, bombed, jailed, starved, gassed to death.
There are many sites around the world that chronicle this war, memorials that tell stories of courage and heroism, graves and empty camps that echo of unspeakable depravity.
Yet, in the image of a mushroom cloud that rose into these skies, we are most starkly reminded of humanity’s core contradiction, how the very spark that marks us as a species, our thoughts, our imagination, our language, our tool making, our ability to set ourselves apart from nature and bend it to our will, those very things also give us the capacity for unmatched destruction.
How often does material advancement or social innovation blind us to this truth, how easily we learn to justify violence, in the name of some higher cause?
Every great religion promises a pathway to love and peace and righteousness, and yet no religion has been spared from believers who have claimed their faith as a license to kill.
Nations arise, telling a story that binds people together in sacrifice and cooperation, allowing for remarkable feats, but those same stories have so often been used to oppress and dehumanize those who are different.
Science allows us to communicate across the seas and fly above the clouds, to cure disease and understand the cosmos. But those same discoveries can be turned into ever-more-efficient killing machines.
The wars of the modern age teach us this truth. Hiroshima teaches this truth.
Technological progress without an equivalent progress in human institutions can doom us.
The scientific revolution that led to the splitting of an atom requires a moral revolution as well.
That is why we come to this place.
We stand here, in the middle of this city, and force ourselves to imagine the moment the bomb fell.
We force ourselves to feel the dread of children confused by what they see. We listen to a silent cry.
We remember all the innocents killed across the arc of that terrible war, and the wars that came before, and the wars that would follow.
Mere words cannot give voice to such suffering, but we have a shared responsibility to look directly into the eye of history and ask what we must do differently to curb such suffering again.
Someday the voices of the hibakusha will no longer be with us to bear witness.
But, the memory of the morning of August 6th, 1945, must never fade.
That memory allows us to fight complacency.
It fuels our moral imagination and allows us to change.
And since that fateful day, we have made choices that give us hope.
The United States and Japan forged not only an alliance, but a friendship, that has won far more for our people than we could ever claim through war.
The nations of Europe built a union that replaced battlefields with bonds of commerce and democracy.
Oppressed peoples and nations won liberation.
An international community established institutions and treaties that work to avoid war and aspire to restrict and roll back and ultimately eliminate the existence of nuclear weapons.
Still, every act of aggression between nations, every act of terror and corruption and cruelty and oppression that we see around the world shows our work is never done.
We may not be able to eliminate man’s capacity to do evil, so nations, and the alliances that we formed, must possess the means to defend ourselves. But among those nations like my own that hold nuclear stockpiles, we must have the courage to escape the logic of fear and pursue a world without them.
We may not realize this goal in my lifetime, but persistent effort can roll back the possibility of catastrophe.
We can chart a course that leads to the destruction of these stockpiles.
We can stop the spread to new nations and secure deadly materials from fanatics.
And yet, that is not enough, for we see around the world today how even the crudest rifles and barrel bombs can serve up violence on a terrible scale.
We must change our mindset about war itself, to prevent conflict through diplomacy and strive to end conflicts after they’ve begun, to see our growing interdependence as a cause for peaceful cooperation and not violent competition, to define our nations not by our capacity to destroy but by what we build.
And, perhaps above all, we must reimagine our connection to one another, as members of one human race. For this too is what makes our species unique.
We’re not bound by genetic code to repeat the mistakes of the past. We can learn. We can choose. We can tell our children a different story, one that describes a common humanity, one that makes war less likely, and cruelty less easily accepted.
We see these stories in the hibakusha, the woman who forgave a pilot who flew the plane that dropped the atomic bomb, because she recognized that what she really hated was war itself.
The man who sought out families of Americans killed here, because he believed their loss was equal to his own.
My own nation’s story began with simple words:
“All men are created equal, and endowed by our Creator with certain unalienable rights, including life, liberty, and the pursuit of happiness.”
Realizing that ideal has never been easy, even within our own borders, even among our own citizens. But staying true to that story is worth the effort.
It is an ideal to be strived for, an ideal that extends across continents, and across oceans.
The irreducible worth of every person, the insistence that every life is precious, the radical and necessary notion that we are part of a single human family, that is the story that we all must tell.
That is why we come to Hiroshima, so that we might think of people we love, the first smile from our children in the morning, the gentle touch from a spouse over the kitchen table, the comforting embrace of a parent.
We can think of those things and know that those same precious moments took place here, 71 years ago.
Those who died, they are like us.
Ordinary people understand this, I think.
They do not want more war.
They would rather that the wonders of science be focused on improving life and not eliminating it.
When the choices made by nations, when the choices made by leaders, reflect this simple wisdom, then the lesson of Hiroshima is done.
The world was forever changed here.
But today the children of this city will go through their day in peace.
What a precious thing that is.
It is worth protecting, and then extending to every child.
That is a future we can choose, a future in which Hiroshima and Nagasaki are known not as “the dawn of atomic warfare,” but as the start of our own moral awakening.
2016年6月3日1:25 PM |カテゴリー:英語
次の文では比較級が最上級に書き換えができる。
Tom is taller than any other student in his class.
「トムはクラスでほかのどんな生徒より背が高い。」
⇒Tom is the tallest student in his class.
「トムはクラスで一番背が高い。」
ここで注意すべき点はany other + 単数名詞 になるということです。
2016年2月23日7:50 PM |カテゴリー:英語
a 冠詞「一つの、~につき」
I 代名詞 「私は、私が」
主格として主語になる。
in 前置詞「~(の中)で、に」
①物理的に存在する場合は
「~の中に」
②時間的に考えると
「~のうちに」、「(今から)~の後に」
③抽象的な空間の中で
手段を表して「~を使って」
形状を表して「~をなして」
所属を表して「~に所属して」
着用を表して「~を身に着けて」
類・割合を表して「~のうちの」
数量・単位を表して「~ずつ」
is 動詞「~である、ある、いる」
詳しくは今後解説されるbe動詞を参考にしてください。
look 動詞「~に見える」
look at 「~を見る」
look for 「~をさがす」
look like 「~に似ている」
look after 「~の世話をする」 = take care of
the 冠詞 「その」
前に出た単語をもう一度使うとき
会話をしている者同士で旧知のものをさすとき
<play the 楽器>のように「楽器を演奏する」という意味でつかわれるとき
天体などのように世界にひとつしかないものを表すとき
最上級の前
序数を表す語の前
to 前置詞「~に、~へ、~まで」
from A to B「AからBまで」
you 代名詞「あなた(は、が、を、に、がたは、がたに」
用例は今後解説される「代名詞」を参考してください。
2015年11月28日6:53 PM |カテゴリー:英単語,英語
質問:
It is no longer a dream for man to live on the moon.(九州産業大)
の訳し方がよくわかりません。
答え:
この文型は<It is + 形容詞(名詞)+ for + 目的格(人)+ to ~>で、
to 以下の意味上の主語はfor manである。
「人間が月に住むのはもはや夢ではありません。」のようになります。
この文を一か所区切りなさいとしたら不定詞のtoの前で区切ることになります。
また、
It is natural that my father should get angry.の文は次のように書き換えができる。
→It is natural for my father to get angry.
2015年7月27日12:27 AM |カテゴリー:英語
生徒からの質問:
A: If he heard of her success, he would be glad.
「彼女の成功を聞いたなら、彼は喜ぶでしょう。」
B: If he hears of her success, he will be glad.
「彼女の成功を聞いたなら、彼は喜ぶでしょう。」
日本語では意味の違いは無いように思えるのですが、違いがよくわかりません。
答え:
英語の表現では過去形を使うことによって、現在の事象から離れる意味を持ちます。
過去の表現では一般的に現在より離れた時制になるので動詞を過去形にします。
丁寧な文でも距離感を出すために過去形を使います。
Would you like anther glass of wine?
この場合も、過去を表すのではなく、自分と相手の距離感を出すために過去形を使っています。
自分と距離感を出すことによってより丁寧な表現になります。
仮定法過去も実際は過去の内容を表すのではなく、現在の状態から離れた内容、
つまり、現在ではありえそうもない事実を表現することになります。
よって、Aの場合は、「彼女の成功はほとんどありえないだろう」と考えられますが、
Bの場合は、「彼女は成功する可能性が十分ありえる(成功している)」という意味を含んでいます。
仮定法過去の過去に惑わされないようにしましょう。
2015年7月17日1:13 PM |カテゴリー:英語
生徒からの質問:
There is a book on the desk.
The book is on the desk.
の使い分けがよくわかりません。どのように使い分けたら良いのですか?
回答:
There is 構文はなにもないところから何かが浮かび上がってくるような表現です。ですから主語にあたる a book が不定の形をとります。定形を表す The book などの限定的な主語は文が不自然なものになります。bookのまえに所有を表すmyなどの単語も来ません。
2014年11月7日4:45 PM |カテゴリー:英語